2022-07-06 メンタルとの対話4「死んではいるが、存在している」 メンタルとの対話 ある一定のリズムは、音楽になります。リズムは、常に完成形です。リズムは波動です。振動です。想念です。エネルギーに名前がついたものです。 今、右上の空間に特に名前がないように、エネルギーには名前がない場合が多いです。ただ、存在しているだけでは「ない」のと同じです。でも「リズム」には名前があります。音楽にタイトルがあるのと同じです。 人は人生で、リズムを刻みます。成功や失敗のリズム、起きてから寝るまでのリズム、意見や真実のリズム、すべてリズムです。実はこれが、「習慣」です。習慣が習慣として存在することは、リズムを刻んでいることと同じです。 人間が「考える」ことで他の動物と違うということは、意図したリズムを刻むことができるからです。しかし流される習慣によって、そのリズムが環境などと同調したとき、刻み続けるリズムを変えることが難しくなります。 自然界の動物は、似たリズムを刻むことで生態系を維持します。だから、常に完璧なバランスを保っています。でもこれは、ライオンならライオンで「どのライオンも似ている」ということです。 人間がそれぞれ違うように見えるのは、リズムが違うことに関係しています。でも似た習慣を持っている人同士は、似たリズムを刻みます。似たリズムを刻む人同士は、仲良くなって、群れをつくります。群れない場合も、リズムを通して同調します。 リズムは壮大な音楽のような流れをつくるので、破壊することが難しくなります。リズムを刻みながら、そのリズムから外れることは困難に見えます。また、心地よさもあり、否定をしにくいものです。 それぞれのリズムは、時代背景もあります。昭和のリズムと、令和のリズムは違います。それが、習慣の違いとなって現れるし、思考・行動・所作などに現れます。 「本当の私」と言ったりするのは、刻んでいるリズムがどこからやってきて、そのリズムの先に何があるのかがわからないことを意味します。 ライオンが「本当の私とは」と考えないのは、自然だからです。自然界の生態系のリズムと完全に同調しているからです。だから、なすべきこともその在り方そのものも、食物連鎖のような現象も含めて、すべてが大自然とシンクロします。 人間は、自然の中にいながら切り離されています。これは特権でもあって、一方では例えば悩みを抱えたりする原因になります。「ただ在る」だけでは満足できないし、生きていけないと思っているからです。 そこで、そういう悩みを持たないために他人と同じリズムを刻みます。その引き換えに「流される習慣」を手にします。そのときに、「私って…」と悩んだりします。 もちろんこのときに「考える」ことによって、そこから脱出することができます。ライオンらしくないライオンは生きていくのが難しいですが、「みんなとは違う私」は生きることができます。考えることができるからです。 この思考の力を活用すると、いわば別の生態系をなすようになります。思考の力は、本能ではありません。知性であり、理性であり、人工的なものです。 もちろん、大きさや影響力はそれぞれあります。会社をつくる、人生をつくる、家族をつくる。思考の力を使った行為には特徴があって、肉体の制限を超えることです。 例えば人気のあるアーティストがこの世を去っても、その人の意識は多くの人の中に存在しています。「死ぬ」という現象と、「存在しない」という現象が切り離されます。 作品やメッセージが存在するだけではなく、意識としてはっきりと存在します。目を閉じれば瞼に映ることは、存在していることと同じです。「死んではいるが、存在している」というのは不思議ではなく、思考の力を使った結果です。 「あの人の教えを、今も守っている」というのは、その人と離れることや、その人が死んだこととは関係ないことも同じです。「社長の指示に従う」というのも、そこに社長がいないことや、伝言であっても同じです。 思考の持つ本当の力とは、その肉体を超えたところにあります。逆に言えば、流される習慣にある人が言うことに影響力が少ないのは、思考の力を活用できていないからです。 つまりその内容が、「他人の考え」だったりするので、小さい影響しかつくることができません。もし他人の考えだったとしても、自分の思考として発信する場合は別です。なぜかと言えば、すでにそれは「自分の思考にする」という思考の力を使っているからです。