裸の王様

体外離脱で宇宙人と交信する社長のもとで働く、神楽坂にある会社の社長室室長が書いているブログ。病気を癒すスピリチュアルヒーラーとの日々の記録。

3.通訳と交信

 

通訳と交信

ミツさんの覚醒秘話

初日の夜は、同部屋のみんなで自分のことを話しました。今回、この深夜の会話が僕にとってとても有意義な時間になりました。

 

それは他の3人にとっても同じだったようです。

 

ミツさんからはいかに覚醒が始まったのかを詳しく聞きました。

 

それによると2007年5月の『ガイドとの邂逅セミナー』でモンローが幽霊屋敷のようにトイレ、洗面所、風呂場など至る所で現れ、気のせいでは済まされない強烈な体験をさせられました。

 

それについては「もう死んでるんで、ストーカー規正法なんてあったもんじゃないですよ」と笑っていました。その後モンローに「アメリカに来なさい」と言われ、2007年12月の日本人対象モンロー研究所ツアー、ゲートウェイ・ヴォエッジに参加し、モンローからいろいろなことを教わりました。

 

ロバート・モンローから聞いたミツさんの役割

そこでは、とにかく「通訳をやりなさい」と言われたそうです。

 

「なんで自分なんだろう」と思っていたミツさんでしたが、あまりにしつこいのでそれを承諾しました。

 

その時に、非物質で空一面にスタンディングオベーションで拍手喝采だったそうです。そこには知っている人も知らない人もいて、「僕はこんなに応援されているんだ」と感動し涙したそうです。

 

しかし「通訳」の詳しい意味が分からず、今日まで来たと言っていました。

 

ゲートウェイ・ヴォエッジでは参加者全員のガイドが部屋に来て、本人に伝えて欲しいメッセージを言われ、ノートに一生懸命写しました。しかし「俺の人生こんなことをするためにあるのかなぁ」と思ったそうです。

 

なぜ、モンローはミツさんに役割を与えたのか?

僕たちは、なぜミツさんがモンローから役割を与えられたのかを考えました。

 

ミツさんは沖縄の那覇市、浦添市内で進学塾の経営をしていて、子供に勉強を教えています。難しいことを分かりやすく教えるのが先生ですから、そういう意味での「通訳」かもしれません。

 

あと、昔から不思議に思っていたことがあるそうで、それはどんな時にも冷静であることです。たとえ誰かが亡くなっても不思議なくらい落ち着いているので、自分が情のない人間なのではないかと思っていたそうです。

 

30人を相手に2人で喧嘩をした時、あまりに冷静すぎて時間が2~3秒止まったように感じたことがあり、負けはしたものの最後まで冷静だったといいます。

 

僕はそこに理由がある気がしました。

 

実は「通訳」とは、「交信」のとこではないかと思ったのです。冷静なミツさんだからこそ、高いフォーカスレベルにいる存在と臆することなく「交信」し、非物質界の真実を伝えることができるのではないでしょうか。

 

ミツさんが考える沖縄のユタ文化

ミツさんはもともと、沖縄のユタ文化を無くしたいと考えていました。

 

宮古島市出身で、小さい頃からユタが説く神様の教えのもとで育てられてきました。沖縄に住む人たちにとってユタは絶対的な存在で、政治家よりも尊敬される立場にあるのだそうです。

 

僕も一度、友人と一緒にユタに霊視していただいたことがあります。そこでは主に先祖との因縁を伝えられ、具体的な解消の仕方も教えていただきました。

 

霊視で過去の出来事や現在の状況を事実として伝えられた上でのアドバイスだったので、能力は素晴らしい方だと思いました。

 

2007年に覚醒が起きるまでは、ミツさんもユタが説く神様を信じて生きてきましたが、それ以降は「今まで信じていたものは何だったんだろう」と思ったそうです。

 

それからは家にある神棚を捨て、今は本当に楽になったといいます。

 

「ご先祖様が怒っているから、神頼みをしなさいと言われて。その後またユタに会いに行ったら、気持ちが届いてないからもう一度やりなさいと言うんですよ。

 

それの繰り返しで20万円くらい払いましたからね。そんな意地悪な神様どこにいますか?」

 

沖縄ではユタの説く宗教は文化にまで発展しているので、なかなか異議を唱える人はいません。「それを何とかして無くしたい、その方がみんな幸せに生きられる」と何度も言っていました。

 

ミツさんは自分を育ててくれた沖縄が大好きなので、それは真剣に伝えていこうと考えています。

 

引き寄せられない未来は「学び」か?

僕は、これから伝えていくのはそれだけではないと思いました。それは、ミツさんの考えだといわゆるスピリチュアル思想で一般的に言われていることとも相反することが多くあったからです。

 

たとえば「学び」。この言葉自体はとても好きで、状況を常にそう捉えることで自分の意識向上に役立っている気がします。しかし危険なのは、状況が好ましくない時にすべて学びとして諦めてしまうと現実を切り開いていく行動力がなくなってしまう気がするのです。

 

なるほど、と思うことを言っていました。

 

「セミナーに30万も払って何も見えないって。それってどんな学びですか?そんなこと学ばせるガイドってどんなガイドですか?」

 

確かに今まで自分なりの努力を時間とお金を費やしてきました。

 

しかし、僕の「ビジョンが見えるようになるのは、ちょうどいいタイミングにガイドが導いてくれるんだ」という思いが既に他人任せなのです。

 

実際、量子論のように未来が確率で決まるとすれば、見えるようになるタイミングというものがあるのだと思います。でも、今見えるようになるかどうかは、その未来を引き寄せることができるかどうかに懸かっているのです。

 

それができるのは、自分しかいないと思いました。

 

過去世を知る功罪

「過去世の因縁」もそうです。確かに過去世は存在すると思っていますし、因縁があれば生まれる前にその部分を学べるようにしてくると思います。

 

しかし、すべて過去世のせいにしてしまっては今ここにある現実を過去世の結果として受け止め、楽しい生活を送ることができない気がするのです。

 

人生を修行として捉えている人は過去世の解放がテーマになり、それと対峙する人生が生きがいなのでしょう。しかし、そうでない人が過去世の因縁を知ってしまうと、今生きている現実がとても苦しいものになってしまいます。

 

別に過去世からの流れが関係ないとは思っていません。今の自分はその集大成であるし、永く続いてきた癖などはこれからの人生もそれを断ち切れないまま連綿と続いていくのでしょう。

 

しかし過去や過去世と対峙した人生を過ごすより、今ある現実をいかに楽しく過ごせるか、それが自分自身のためになる気がするのです。「生まれてきたことは罪である」と修行するより、楽しい現実を生きることの方が遥かに過去世の解放になるのではないでしょうか。

 

それまでは修行的人生を良しとして生きてきた僕にとって、ミツさんの考えはとても地に足の着いた現実的なものでした。

 

 

 

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