裸の王様

体外離脱で学んだ、失敗や挫折から抜け出すための異次元情報。

メンタルとの対話3「流される習慣が生む貧困という病気」

ネガティブがメンタルの大部分を占めるようになるとき、国会の議席数のように意識をコントロールしやすくなっています。そこに至るまでに、それを許した習慣があります。「流される習慣」です。

 

流される習慣で人生をかためることに、気づいてやめる人もいます。しかし、気づいてもやめない人もいます。

 

流される習慣を手に入れるということは、何かの売買が成立したことと同じです。何もなしに、人は何かを買うことはできません。または、何かとのセット販売で買うというケースもあります。

 

「考える」ことを他人に売る代わりに、「流される習慣」を手にします。無意識下でお互いのメリットが合致して、成立します。または、「考える」ことを売りたくないのに、自尊心を高めてもらう(買う)ことで「流される習慣」を買うことに同意したりします。

 

こういう売買が、日々いろいろなところで行われます。世の中は常にギブアンドテイクで、逆算をしていくと「本当の私」までたどり着くこともできます。

 

大きな問題は、流される習慣を身につける人が、ポジティブになることはないということです。流される習慣を身につけると、ネガティブになります。「流される」わけですから、「能動的に」「主体的に」はない。

 

ウイルスは伝染するのと同じように、病気だけではなく、「貧困」も伝染します。貧困は病気、です。大富豪が、一文なしになっても復活することがあります。一時的な「一文なし」と、慢性的な「お金がない」は違います。

 

貧困は金銭の有無やその量ではなく、メンタルの中を表しています。「私はこうしたい」という明確な決意がある人の中に、貧困はありません。物理的なお金がなくても、何をすべきかが決まっていることは、行動することと同じだからです。

 

「お金がない」という一時的な経験と、「お金がない」という口癖は、まったく違います。

 

後者は流される習慣がある人ですが、それでもたくさんのことを手にすることができます。しかし、それが他の人が欲しくないものだったりします。ギブアンドテイクは日々行われているので、その口癖とともに、売れ残ったものを買うことになります。

 

僕自身も大きな失敗や挫折をして、貧困を経験したことがあります。どう考えても、貧困であるし、生きることさえ困難であると。しかし貧困は、メンタルです。メンタルとの対話の中で、次なる行動を見つけるのです。難しく感じるのは、その渦中にいるからです。

 

「目標を持つ」というのは、貧困にとっては敵です。もしまわりの人が「あなたは貧乏だ」と言っても、本人の中に「私は貧乏だ」が存在しなければ、結果的に一時的なものになります。問題は、その現象ではなく理解です。

 

人は失敗をすると、目標を失います。明確な目標を持って生きている人が、失敗を機に人が変わったようになることがあります。成功への熱意は削がれ、道徳心を忘れ、自信を失います。

 

しかし失敗には、成功のタネが詰まっています。「失敗」を動詞として一時的なものにするのと、「失敗者」という名詞にするのは違います。失敗とは一時的なものであると知っていれば、次にやってくるのは成功です。

 

もちろん、その強度は人によって違います。しかし失敗や挫折を、自分自身の許容範囲を超えて体験してもなおメンタルの知識のものとに再構築すると、その悲しみの果てにポジティブが見えてきます。

 

「失敗」は、典型的な流される習慣をもつ流される人間の入口です。ネガティブに誘う、よくあるパターンです。それでも、ただそれだけです。

 

 

 

ここまで書いたことは、知識です。「知は力なり」という言葉がありますが、実際には「知は行動して力となる」です。ネガティブの存在や原理を知ったら、それをコントロール下に置くといい。

 

「私にはネガティブはない」というのは、ネガティブです。「ない」と「ある」は同義語で、存在しないなら語れません。格闘家で「私に恐怖心はない」という人がいたら、それは認識が低い可能性が高いです。「恐怖心はあるが、コントロール下にある」です。

 

「ネガティブはあるが、コントロール下にある」ことを、一般的には「あの人はネガティブじゃない」「あの人はポジティブだ」と言います。